山田さんが「こんなお芝居がやりたかったんだ!」と言うほどの作品。
山田さんが得意とする、本当に生きている人間の時間を切り取ったような作品であり、「いい時間を過ごせた」と語っている作品。
私自身も山田さんがそういう作品に巡り会えたことが嬉しいと感じています。

山田さん曰く「慎一は、ほぼ僕です」
夜、鳥たちが啼くの評価
夜、鳥たちが啼くのあらすじ
若くして小説家デビューするも、その後は鳴かず飛ばず、同棲中だった恋人にも去られ、鬱屈とした日々を送る慎一(山田裕貴)。そんな彼のもとに、友人の元妻、裕子(松本まりか)が、幼い息子アキラを連れて引っ越してくる。慎一が恋人と暮らしていた一軒家を、離婚して行き場を失った2人に提供し、自身は離れのプレハブで寝起きするという、いびつな「半同居」生活。自分自身への苛立ちから身勝手に他者を傷つけてきた慎一は、そんな自らの無様な姿を、夜ごと終わりのない物語へと綴ってゆく。書いては止まり、原稿を破り捨て、また書き始める。それはまるで自傷行為のようでもあった。
一方の裕子はアキラが眠りにつくと、行きずりの出会いを求めて夜の街へと出かけてゆく。親として人として強くあらねばと言う思いと、埋めがたい孤独との間でバランスを保とうと彼女もまた苦しんでいた。
そして、父親に去られ深く傷ついたアキラは、唯一母親以外の身近な存在となった慎一を慕い始める。
慎一と裕子はお互い深入りしないよう距離を保ちながら、3人で過ごす表面的には穏やかな日々を重ねてゆく。だが2人とも、未だ前に進む一歩を踏み出せずにいた。
そしてある夜……。
引用元:https://yorutori-movie.com/
夜、鳥たちが啼くの見どころ
独断と偏見の山田裕貴ファン的山田裕貴の見どころです。
- 山田裕貴が滲み出た慎一
- ラブシーン
- 朝の幸せそうな顔
夜、鳥たちが啼くの感想
なんだか最初は救いようがない暗い話なのかなと不安になりつつも、最終的にはあたたかさに包まれたような気持ちになれた。
この物語を見ていなかったら、曖昧な関係性を理解するのは難しかったかもしれないし、自分に置き換えると無理かもって思う。
だけど見終わったあとは不思議と「こんな幸せの形もあるよね、あってもいいよね」と思えた。
強いメッセージ性があるわけではないけど、3人が教えてくれたような気がする。
ラブシーンが意味あるものだったのがよかった。
夜に2人が台所でビールを飲むような静かなシーンは妙にドキドキしてしまう。冷蔵庫のジーという音とか。2人の心情が伝わるようで。そんな空気感を味わえる作品だった。
慎一は衝動が抑えられない。スイッチが入ると止められない。クズっていうよりある意味人間らしくあるのかも。
カーテンを引きちぎる、作家仲間やスーパー店長を殴る、プリンター破壊、裕子に強引にキス。
だけど普段は子供に優しかったり仕事も真面目にする。
衝動的な部分を見ると悪い人と思うかもしれない。
穏やかな部分を見ると良い人と思うかもしれない。
どんな人間も紙一重な一面を持ち合わせていると思う。
横から来るトラックに目もくれず店長に向かっていく顔は怖すぎるし、踏み切り越しのクシャクシャな泣き顔は何度見ても苦しいけど、山田さんの好きなお芝居だとも思う。こんな結果を望んでいたわけじゃないよね…慎一の不器用さが滲み出る。
醜いことも美しいことも自分のことを書く、書いて終わらせる。どんな気分だろう。小説家になったことがないからわからないけど。生みの苦しみ、自分をさらけ出す苦しさ。あるのだろうか。それでも知って欲しいから書くのだろうか。
裕子の「他のも読んでみたい」とか「なんで自分のこと書くの?」という言葉。自分のことを見て欲しい慎一にとってそれは嬉しかったはず。
「俺は…ちゃんとしてないから」
そんな自分を知りたいと思う裕子だから部屋を貸したのかな。ちゃんとしていない自分をまっすぐ見てくれる人だったから。
3人で寝て起きた慎一の穏やかな顔を見たとき「よかったなぁ」と感じたんです。慎一と一緒に幸せを味わったような。すごく好きなシーンでした。(夜鳥は何回か見に行ったけど初見でこのシーンがいちばん印象的だった)
母屋で寝ようと提案する裕子に「こっちで3人で寝たい」「向こうは、あいつと住んでたとこだから」って子供みたいに甘えるようだけど苦しさを感じる慎一の声に胸がギュッとなった。そんなに辛くて苦しかったんだねと。その後にあの幸せそうな顔を見たら否定することはできなかった。
アキラといるときの慎一に素の山田さんを感じてそこもすごく好きだった。
まりかさんが台本を読んだ時点ではわからなかった感情が、役を生きているうちにその感情になれて、本当に幸せを感じられたっていうのすごいわかる気がします。
付き合ったり結婚しているわけでもない人とふたつ屋根の下で暮らし、そして体を重ねる。
文字だけだと理解できないことが、実際に裕子を演じることで、アキラと慎一が海で楽しそうにしているのを見ることで、「幸せってこんなところにあったんだなぁ」って思えたり、夜な夜な行きずりの男たちと遊んでも少しも満たされなかったのに、慎一とだったら一瞬で満たされたっていう、実際に経験することでわかることってあるのかもなって思ったんです。
それは当事者だけがわかっていればいいことだし、まわりは関係ないよなって。
海のあと台所で裕子「何か作ろうか」で無言になって笑ってのシーンなんか好きなんだな。それまで距離あったけど、海に行って少し距離が縮まったけど、やっぱりまだぎこちない2人を表してるみたいで。
すごく生々しくてエロいけど愛を感じられた。ラブシーンをここまで純粋に「いいな」と思えたのは初めてかも。
それまでの2人の苦しさや、その後の憑き物が落ちたように穏やかになっていく様子が自然と入ってきて。
あんなにささくれ立っていた心のトゲトゲが丸くなって、3人で川の字で寝て起きた朝の穏やかな表情を見ると「うん、なんかよかったんじゃない」って思えた。
最初にキスして笑い合って、その後の触れてもいい?って確認するような躊躇いつつのキスがすごく好き。お互いの相手を想う気持ちが、恐る恐るな感じが出ていて。でも、しちゃったらもう止まらないんだよね。
首絞めがち?首絞めがちってより首に手を置きがちなのかな?何回もするから気になるよね。特に朝のとき。撮影稿にそういう文言はないので山田さんの慎一解釈だと想像する。作家仲間の首も絞めていたしね。ラブシーンていうよりこの行為にめちゃくちゃドキドキしてしまった。
山田さんが感想リプに返信してくれる語り合い大会を開催してくれた↓
そこで首絞めについて触れられたリプに返信しているものがあって、リプ主さんは「慎一の支配欲」みたいなことを書いていて。でも山田さんは「支配したいという感情は 僕が生きる慎一のなかには ありませんでした」と答えていて。私も支配っていうよりは暴力性や執着性を表しているのかなと感じた。ディープキスもだいぶしつこいしさ(笑)
朝の慎一は強引だけど欲望のままっていうより愛おしいからに見えた。メガネ外して裕子の顔を見てる目とか。愛おしいから触れたいみたいな。
ラストに花火を持ってきたのは儚さなのかなぁ。
花火はキレイだけどパァッと咲いて消えちゃうからさ。
この幸せが続くか続かないかは誰にもわからない。
でも一瞬でも輝かしい時間があればそれだけで救われたり幸せを感じられたりするよね。
慎一がアキラの顔を見て裕子の顔を見て、幸せそうなの、いいよね…
見る人により。年齢、性別、状況、経験…
それぞれみんな違うわけで。
共感したり、できなかったり、嫌悪感、トラウマ、慈悲…
いろいろ感じる作品だと思う。
いろんな人に見てもらい感じてもらえる作品かもしれない。
私自身も何年後かに見たら感想が変化しているかもしれない。
そんな不思議な世界観。
カーテンを開け閉めすると裕子から元カノへシフトして回想シーンへ移行したり、電車が通過して元カノの姿が消えることで慎一の元から去った表現とか、画の作り方が素敵です。
元カノが車で店長に送ってもらう一部始終が窓ガラスに映る描写だったり。窓がすごく効果的に使われていて。
慎一が台所でタバコを吸うのをすりガラス越しに表現したり。
そうすることで逆にその場にいる感覚を味わえるような。
ドアップのアキラを真ん中に3人で歩くシーンは、大人2人がフレームアウトする画面の切り取り。
対面でするときの手前のビールケースが絶妙というか(笑)
アートだなぁと思ったら監督は武蔵美出身なんですね。
パンフレット
パンフレットの内容がすっごく充実していておすすめです。
台本(撮影稿)が載っていて、流れやセリフを思い出したり、読むことで情景が蘇る。聞き取れなかったセリフを確認できたり、台本と違う部分は「アドリブかな?」と想像したり、台本ってこうなってるんだ〜という感動もあった。
山田さんやまりかさんのインタビューはもちろん、照明さんなどのインタビューもあって作品への熱意みたいなものも感じられる。青いフィルターを当てたりとか2人の心情を表すものを色でも表現されていたと知り、作品を細部まで楽しんでみようと思った。
小説家のカツセマサヒコさんのレビューが素晴らしすぎて。私が小説家ではないからわからなかった、自分自身を執筆するということについて「なるほど〜」と思えた。
インタビュー掲載誌
『山田裕貴』が滲み出た慎一であった理由が知れた気がする。
山田さんは役を生きるが故のアドリブをすることがあり、監督はそれを活かす作品作りをする方だと知れて、山田さんと監督との相性の良さを感じた。また監督とのお仕事があるといいなと思う。
山田さんが「いい時間を過ごせた」と感じられたことがすべてなんじゃないかと思い、より本作への愛着が湧いた。
(慎一のキャラクターについて)僕がやったからこうなっちゃったのかな
山田さんとは正反対のとっつきにくい男かと思っていた慎一に、朗らかな山田さんの要素を感じた理由がこの記事を読むことでしっくりきた。そこが好きな部分だったので知れて嬉しかった。
慎一像が出来上がる過程や思いがけないトーンで発せられた「終わらせたいから」など、役を生きる俳優とそれをそのまま撮る監督。
創作ではあるけど、半分本物のような不思議な感覚を味わえた理由がここにあるのかもしれない。
“生きている”姿を、見ている方に観察してもらえるような作品。こういうタイプの作品は大好き。
山田さんの静かな役やお芝居が好きな私としては、すごく好きなテイストの作品に出てくれて嬉しい。
役者によって表現方法は様々だと思うけど、私は山田さんの醸し出す空気感や生きる姿が好き。だからこそ惹かれたんだと思う。
ラブシーンについて、山田さんの言う「なくても伝わるときはなくていい」というの共感しかない。
そういうシーンは全然大丈夫なんだけど、見栄えなのかラブシーンがあるなって思うことがある。
そして本作においてラブシーンは物語上必要だったと語っている。
以前このツイートのやり取りを見たとき、まりかさんと山田さんは似てるところがあるのかな?と感じていた。(このツイート自体が本作撮影後くらいだと思うので、情報解禁を知った後、それでこのやり取りに繋がったのかもなとも思った。)
やり取りの時点で2人が似ているとは思ったけど「キネマ旬報NEXT」を読んで、その遥か上をいくシンパシーだったことに驚きと納得と嫉妬と…
ここまで通じ合い信頼し合える関係性の2人から生まれる物語、愛ってきっと素敵な作品に違いないと思った。
アキラが繋いでくれた花火シーン、よかったな。
ラブシーンについて。
まりかさんの『生きていくためのエネルギー交換』
山田さんの『お互いに愛の輪郭を捉えた』
2人のこの表現がいいなと思ったというか「うぉおおお!」ってなった(笑)言葉にならないこの気持ち。
それで『愛の輪郭』で思い出したこのツイート↓
フォトグラファーさんのインスタにて写真が紹介されています↓
ラブシーンというより『ラブ』に関してNYLONの対談が読んでいていちばん興味深かった。
yamadaaaとしてはジェラシット通り越してため息でもあるんだけどさ(笑)
変な意味ではなく素直に気持ちよさそうと思った。今までラブシーンであまりそんな気持ちになったことがなかったから不思議だった。まりかさんのインタビュー読んで「やっぱそうだよね!!」と思った。安堵感、委ねる想いがスクリーンに出てたんだと思う。心地よい気持ちよさ。お芝居なのにここまで気持ちよさや心地よさを表現できるってすごいなと。
まりかさんの言う『細胞レベルの幸せを感じる』という部分が、個人的にあのラブシーンを見てしっくりくる答えだった。
山田さんの言う「魂レベルでつながっちゃった」は、裕子が慎一の小説に興味を示していた部分にもつながるのかな。自分のことを書きたい知ってもらいたい。慎一のことを知りたいもっと知りたい。
『だるまさんがころんだ』を裕子とアキラとやっていて、振り返るシーン
楽しくなってきて
現実みたいにその場が続いていく
このシーン本当に楽しそうで。本当の3人のふざけてるシーンを隠し撮りしたかのようなリアル感があった。(裕子がずるっと滑ったのはハプニングだったのかな?(笑)面白いしかわいいシーンだった。)
自分の中にあるものをなんとかしたいから=終わらせたいから
あのトーンもなんか胸にくる。あのとき2人が心の奥で通じ合った感あったよね。
山田さん曰く「慎一にとっては最後の『助けて』だったのかもしれない」
裕子はそのSOSに気づいてくれた唯一の人だったのかな。
「命すら諦めていたかもしれない」
そこまでだったとは想像していなかった。
インタビュー記事など
Q.(文子とのシーンは)慎一の回想のようにも、彼が書いている小説のなかの描写が映像化されたもののようにも見える
どちらにも取れるように演じています
https://www.gqjapan.jp/culture/article/20221205-yuki-yamada-hype
なるほど〜〜〜。私は完全に過去シーンだと思って見ていた。どちらにも取れるようにね。はあ〜、さすがでございますわ。
役の感情がからだを埋め尽くしている
https://www.gqjapan.jp/culture/article/20221205-yuki-yamada-hype
ねぇ、もうこれ、この表現好きすぎてさ。私が山田さんの『生きてる』お芝居が好きな理由がここにあるかも。こんな状態になりながら生きた役だもん。何も感じないはずがないんだよね。
裕子と、そして彼女の息子のアキラと3人でいる時間が、すごく幸せでした
https://joshi-spa.jp/1211367/3
役を生きる俳優がこう思えるって素晴らしいし、その幸せな気持ちが伝わる作品だった。
彼ら3人は他人にどう見られようと、自分たちが幸せであればいいんだと気づけた人たち
https://ananweb.jp/news/453320/
うんうん、結果これですよね。
城定監督のインタビュー記事など
完成披露舞台挨拶レポ(2022/11/17)
新宿ピカデリーにて開催された完成披露舞台挨拶に参加してきました。
登壇者は山田裕貴さん、松本まりかさん、城定秀夫監督。舞台挨拶は上映前。
登場したときビックリしてて。
どうしたのかと思ったら、思ったより会場がデカくてビックリしてたようだ。そんな様子も可愛かった。
山田さんはとにかくかっこよ!みんな知ってるからもう言わなくていっか(笑)
顔ちぃせぇ!小さすぎて見えにくいまである。
やっぱりいつもの如く客席見回してくれてめちゃ目が合いそうで怖いのよ。
結構喋りながら、他の人の喋り聞きながらゆらゆら動いてた印象ある。落ち着きなかった?
まりかさんのおかげで闇ツイートをネタに昇華できてよかった(笑)
お互いまったく関知してなくて偶然起こった闇ツイートだったみたい。2人はその辺の波長も似てるのかなぁ?
相変わらず捌けるときは深々とお辞儀。深々と丁寧にしてるから後に続く監督とちょっとぶつかり気味だった?(笑)
まりかさんより山田さんの方が年下だし、どっちかというと暴走しがちなのは山田さんかなとか思ってたけど、熱く語り出すと止まらないまりかさんワールドを冷静に受け止める山田さんの構図が面白かった。
まりかさんの心の奥底から、魂から出てきたような言葉たちがとても響いた。すごく素敵な人だなって思った。
元々まりかさんのこと好きだったけど、本作関連誌インタビューや舞台挨拶での言葉を聞いて、本当に素敵な人だなと。
どこか山田さんと似てるから、山田さんファンの私が惹かれるのも無理ないか…とも思った。
まりかさんの、慎一と裕子のような曖昧な関係性についての回答がとても共感で。
見た後は「こういう生き方もあるだろうし、それも悪くないな」と自然と思えた。
自分と違う、多くの人と違う生き方をしてる人がいるかもしれないと少しでも気づけたらいいな。
カテゴライズしがち、その方が安心する、わかりやすいみたいな話わかるなぁと。
だけど人にはそれぞれ事情がある。他人に言いたくないこともある。
山田さんが言っていた、そんな関係性を「いいね」と言える世の中になったらいいなというのとても共感。
公開記念舞台挨拶レポ(2022/12/10)
新宿ピカデリーにて開催された公開記念舞台挨拶の午前・午後両方に参加してきました。
登壇者は山田裕貴さん、松本まりかさん、森優理斗さん、城定秀夫監督。
午前は上映後に舞台挨拶。
さっきまで観てた慎一とは別人だよなぁ。すごいよなぁ。
登場したときゆらゆらしてた。
けっこう隣の優理斗くんを気にかけてる様子。
優理斗くんからの手紙で突然のユーキヤマーダ呼びw
この呼び方についてなんの説明もなくまりかさんもユーキヤマーダ呼びしてたw
泣きそうで泣いてなかった。涙堪えてたのかな。
優理斗くんを見守る様子が優しくて。表情が心なしか穏やかだったような気がする。
まりかさんも言ってたけどいいパパになりそうだよね〜
トークノーカットの動画があがってるので詳しくはこちらをご覧ください↓
入退場時、4人が手を繋いでた。
退場時、監督は「え?俺はいいよ〜」と遠慮する感じだったけど山田さんが「繋ごう」みたいな感じ。監督1人だけ繋がないの寂しいというか優しさなのかなって思った。
午後は舞台挨拶後に上映。メディア取材は入ってなかった。(※記憶が曖昧なので間違ってる可能性あるかも。内容はニュアンスです。)
普段はこんなことしないけど、映画館の座席埋まってるかネットで確認したらしい。
母親から「あなたが夢に出たからこの映画、相当気合い入ってるでしょ」っていう連絡きた。特に宣伝とかしてないのにシンパシー?みたいな話。
大河の撮影現場のずらっと並んだ殿潤ポスターの中になぜか夜鳥ポスター(しかも2人のサイン入り)が貼ってあって恥ずかしいって話。でもみんな「観るよ〜」って言ってくれててありがたいっていう話。
優理斗くんの山田さんの印象➡︎大人なのに大人っぽくないw
優理斗くんのアキラ役の解釈がすごかった。
父親居なくなり友達から仲間外れにされ寂しさ抱えてる。甘えたいのに甘えられないみたいな。
監督も驚いてた。
山田さんだったかな?そこまで理解して演じてるの?ってビックリしてて。
舞台挨拶後に上映だったけど、けっこうたくさんの人が舞台挨拶終わった途端退場した(இдஇ; )ヒドイ
ちなみに、午後は前方席で舞台挨拶的にはよかったけど、映画的にはスーパーマーケットのカメラワークで酔いそうになった。
ラジオでの発言
「こんなお芝居がやりたかったんだ!」
その真意は、大人な映画をやりたかったというわけではなく、自分のお芝居の感覚、やりたかったお芝居というところ。
編集されることを考えてセリフのスピード等調整しつつ演じることもあるけど、そういうの抜きで自然なお芝居ができたということかな。
編集でカットされたりしない、人間の生きている時間を切り取った作品。
山田さん自身そういうお芝居の方が得意だと語っていた。
この辺のことは役者じゃない私にはわからないことだったので知れてよかった。
詳しい内容は「山田裕貴ANNX」記事でも紹介されています↓
SNSいろいろ
この辺のSNSは本作撮影時期だったようです。たしかに髭がそうですね。
日付的にこの辺の569も撮影時期なのかな?↓
夜、鳥たちが啼く公式サイト
YouTube
原作が所収されている小説はこちら